ACIDMAN LIVE TOUR “Λ” in 日本武道館のBDを観て気づいた変化。

MUSIC

もはやある種の、「生」を語るドキュメンタリー映像。

本日も創音においでいただき、ありがとうございます。
On-Suke(0n_Suke)です。

7月に参戦したACIDMAN LIVE TOUR “Λ” @日本武道館。11月28日、ついにそのライブ映像を収録したBD/DVDがリリースされ、早速僕も入手しました。

中に入っている写真集には、今ツアーで衝撃的だったピアニスト・大木伸夫の姿もばっちり収められています。これだけで買う価値十分です。

ライブ映像を観てわかったこと。

実際にこの目で観たライブでもありますが、遠くからしか見ることができなかった本人たちがどのような表情で演奏していたのか、ホールの中で反響に反響を重ねて上手く聴くことができなかったあのときの音は、実際どのように鳴っていたのかなどを落ち着いて観たり聴いたりすることができるのは、ライブDVDならではの良さだと思います。

いい意味で力が抜けた、小気味良い歌声

昔と比べて、最近の大木さん(Vo./Gt.)の歌声には余裕が感じられるようになりました。

ライブですからもちろん熱いプレイと歌声で会場を湧かせているのですが、その声からは苦しさではなく、ゆったりとリラックスした様子が伝わってきます。

今回のアルバムでは「」を謳ったものが多く、語りかけるような優しさが込められた歌声と非常にマッチしていました。自身が描いた歌の世界観をより繊細に表現しており、それが聴く人の心をより一層奥底から揺さぶります。

まさかのルーパー不使用だった「ユートピア」

アルバムが発売された頃から気にしていた、「『ユートピア』のリフをライブでどうするのか問題」。

ルーパーを使ってイントロを録り、それを流し続けるのか、初めからバックで演奏と同期させるのか、それともこの複雑なリフを弾きながら歌うのか。

大木が出した解は、最も難易度の高い「弾きながら歌う」。弾き語りやギタボをしている人ならわかると思いますが、このリフを弾きながら歌うのは本当に至難の技です。

歌のリズムとギターのリズムが噛み合わないと、すぐにどちらかが疎かになります。よほど練習しない限り。

長い間スリーピースで続けてこられたギターの技量がここで大いに発揮されていました。ギターをかじっている身として、この曲ばかりは大木さんの歌よりも指にずっと注目してしまいました(笑)

聴く人のもとへ歩み寄った、ACIDMANの命と愛の歌

僕はACIDMANのライブDVDが出るたびに買って観ていますが、今までと最も大きく変わっていたところがありました。

それは、ACIDMANの曲を聴いて数多くの涙を流す人々が映し出されていること。

無理もありません。僕もライブ当日泣きましたもん。チープな表現ですが、「心にグッときた」んです。

それはなぜか。「宇宙」という壮大なテーマを歌い続けたACIDMANに、「」という人類普遍のテーマが加えられたからです。

曲の節々に込められた、人とのつながり、その温かさ。いつか失われる命、消えていく過去や未来に対する寂しさや悲しみ。それらを抱えながらも生きていく命の素晴らしさ。

生ける命すべてを讃えたACIDMANの愛が、よりシンプルな言葉で語る今アルバムの楽曲たちによって、自身ですら掴むことのできない心の中心にストレートに訴えかけるのです。

生きるって、素晴らしいと。

宇宙、生命という壮大なテーマにただただ呆然と立ち尽くすしかなかったACIDMANの世界観。しかし、生命を橋渡しにして新たに強く語られた愛が、きっと多くの人の涙腺に触れたのでしょう。

「自分を大切にできなくなったとき」に観たい、救いの1枚

生きていると、嫌なことや辛いことに押しつぶされて、生きる意味がわからなくなることもあるでしょう。

そんなとき、ACIDMANの世界観にどっぷり浸かって、遥か何十億年もの間つながれてきた果てに生まれたこの命があることこそが、奇跡であって素晴らしいことを再確認してみてはどうでしょうか。

今、命があるだけで素晴らしい。それだけで生きる意味は十分満たされているはず。

自分の命はそう捨てたもんじゃないと、また明日を生き抜く糧を得ることができるはずです。

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